2014年



ーー−4/1−ーー 雪洞の思い出


 ある登山家のブログを見ていたら、雪洞を使った登山の記事があった。そう言えば昔はそんな事もやったなぁと、懐かしく思い出した。

 雪洞は、冬山登山の大きな武器になる。もちろん雪洞が掘れるほどの積雪が前提であり、どこでも作れるというわけではないが。

 冬山の吹雪に曝されると、テントでは不安を感じる場合がある。飛ばされたり、破れたりという危険が想定されるからだ。そのような危険を避けるために、雪でブロックを作って、暴風壁を構築したりする。30年以上前の記憶だから、現在ではテントの品質も向上していると思う。しかし、猛烈な吹雪に見舞われたら、やはり危険を感じると思う。

 そのような事態に陥らなくても、強風に叩かれたテントの夜は、なかなか眠れないものである。テントがバタバタと音を立てて揺れるので、心理的に落ち着かない。また、テントの内側に着いた湯気が凍り、バタバタのたびに落ちて来て、寝袋に降りかかる。そんなコンディション下では、なんとも辛く、長い夜となる。

 その点、雪洞は外界から遮断された居住空間を与えてくれる。外が吹雪でも、中は静かである。また、雪洞の中は、思ったより暖かい。テントの中ではポリタンクの水が凍るが、雪洞では凍らない。就寝中の寒さは、雪洞の方が格段に緩いのである。また、冬山では雪を溶かして水を得るのだが、雪洞なら吹雪の屋外へ雪を取りに行く必要は無い。快適に過ごせるという点では、雪洞はとても有り難い存在である。

 ただし、テント設営と比べて、雪洞を掘るには格段に多くの労力と時間を要する。そこが、デメリットと言える。しかし、確実に雪洞が作れる山域なら、テントを使わずに、雪洞だけで泊まりを重ねる事もできる。昔の冬山用のテントは、かさばって重かった。そのテント装備一式を省略できるなら、行動がラクになる。雪洞作りに必要な装備は、軽量化された専用のスコップと、ノコギリくらいである。

 雪洞は、平らな雪面を掘り下げて作ることも出来るが、斜面に横に掘って作る方がラクである。そのような場所を探すことが大切である。雪の斜面でも、積雪が予想外に少ないと、掘っているうちに地面が出てきて、失敗に終わる。作り方としては、まず大雑把にスコップで掘って、入り口を作る。それから、内部に向かってノコギリで切り込みを入れ、スコップで起こして適当な大きさのブロックにし、運び出す。天井などは、ノコ目を入れれば、スコップの一突きで、雪の塊がドサッと落ちる。

 入り口が大きければ、作業はラクだが、寒い雪洞になってしまう。開口部をなるべく小さく作るのが、快適な雪洞の条件である。入り口が不必要に大きくなってしまった場合は、ブロックで塞いで狭くすることもある。内部が掘り終わったら、壁や天井を滑らかに仕上げる。特に天井は、凹凸があると雪が融けて滴が落ちるので、綺麗に平らにする。それから、壁の一部に掘り込みを入れて、ローソクを立てる台や、小物を置く棚などを作る。そういうインテリアの作業が楽しい。最後に、入り口にシーを張って塞げば出来上がり。雪洞を完成して中に入り、お茶でも沸かしてくつろげば、まるで御殿の中にいるような気持になる。

 ところで、雪山を登っていて、過日に他のパーティーが掘った、無人の雪洞に出くわす事がある。それが一日の行動を終えようとするタイミングと重なれば、まことにラッキーである。テントを持っていても、迷わずにその雪洞を使わせてもらう。ただし、雪洞で泊まったパーティーは、出発する際にその中でトイレを済ませるケースが多い。寒気や強風を避けて、ゆっくりと用を足せられるからだ。だから、使用済みの雪洞を使う際は、内部の点検を慎重に行い、残置物を確実に取り除く必要がある。




ーーー4/8−−− 石窯でピザを焼く


 先日、群馬県某所にある知人の別荘(通称山小屋)へ遊びに行った。以前は年に何回も通ったものだが、ここ数年はなかなか都合が合わず、年に一回程度の訪問となっている。そのため、周辺状況の変化に驚かされる事がある。今回は、建物の脇の敷地に、パンとかピザを焼く石窯が鎮座していた。前回訪れた時は、まだ基礎工事の最中だった。それが今では完成し、窯の前には床が張られ、調理台が設けられ、屋根も掛けられていた。全て、山小屋に出入りする常連仲間が、手作業で作った物である。

 その日は朝から薪がくべられ、私が近くへ寄った時には、既に窯は稼働できる状態にあった。調理台の上にはピザ生地が準備されていた。始めて見る石窯に、興味をそそられた。製作に携わった仲間の一人が、説明をしてくれた。

 窯は、穴ぐらのような構造で、中を覗くと、コンクリート製の平らな面の上をドーム状の天井が覆っていた。このお椀を伏せたような空間が燃焼室であり、同時にピザを焼く場所でもある。ドームの手前にアーチ形の開口部があり、そこから薪を入れる。薪は燃焼室の床の左半分に積まれ、燃やされる。燃やし始めは、開口部の内側にある煙突を開いて火力を確保するが、ある程度温度が上がったら、煙突のダンパーを閉じる。

 ピザを焼くのに適切な温度は、燃焼室の床の表面で430度前後だそうである。そのような温度でちゃんと推移するのかと、疑問に思うところだが、実際のところほぼその温度に安定していた。説明によると、薪が燃えて発生した燃焼ガスが、ドームの内側を巡るようにして移動し、開口部から外へ出る。それに見合った量の空気が、同じ開口部から入って、薪の燃焼を持続させる。その循環のメカニズムが、燃焼室内の温度を安定させるのだと言う。確かに内部を見ると、薪から立ち上がった薄い煙が、ドームの壁に沿って上に登り、天井付近で横に移動し、反対側まで行って下に降りるという、連続的な流れが確認できた。それはちょっと幻想的な光景であった。

 温度が適正になったら、ピザ焼き開始となる。大きなヘラの上にピザ生地を載せ、燃焼室内に入れてヘラをスッと引き、生地を床に置く。すぐ脇に薪が燃えているので、放っておくと片側だけ焦げてしまう。それを避けるため、金属製のヘラで生地を少しずつ回転させる。そうこうしているうちに、生地の表面がグラグラと煮えてくる。ほど良く焦げ色が付いたら、ヘラに載せて取り出す。生地を入れてから出すまで、ほんの1分半程度の出来事であった。焼き上がったピザは、表面がパリッとして、とても美味だった。

 調理係りの女性陣が、トッピングを変えて、様々なピザ生地を作る。それを男性陣が、次々に焼く。なにしろ焼くのに要する時間が短いので、作業が止まる時は無い。連続的にどんどん生産される。出来上がったピザを切り分けて食べながら、次のピザを焼く。そんな感じが、実に楽しい。この方式なら、ある程度の人数でも、ほとんど待ち時間無しで、提供できる。これはなかなか優れた設備だ。図体はデカいが、それに見合ったメリットは十分にある。

 ところで、燃焼室の床、つまりピザを焼く面の温度が重要なのだが、それをどのように測定するのか。

 そのために準備されていたのが、非接触型の温度計。二枚目の画像のものである。これを対象物に向けてボタンを押すと、赤いレーザー光線が照射され、そのポイントの周辺の温度がデジタル表示される。物体から発生する赤外線などを検出して、温度を測定する装置である。これをピザを焼く床面に向ければ、たちどころに温度が分かるのである。

 装置の脇にはコードが接続されているが、これは別途窯の内部に設置されている温度計と繋がっていて、燃焼室内の空気の温度を測定できるようになっている。ここまでやるのか?と思えるくらいの道具立てだが、現在ではそれほど高価な物ではないとのこと。

 私はこの温度計が気に入ってしまい、いろいろ試してみた。自分の手の平などに向けてボタンを押せば、体温が測れる。それもかなり精度が良い(当然か)。

 「これは便利だね。夜寝ているカミさんに当てれば、こっそり体温を測ることが出来る」と言ったら、脇に居た人が「大竹さん、そりゃそうだけど、それに何の意味があるの?」と訊き返した。




ーーー4/15−−− 臭いのハンディ


 私は子供の頃から慢性蓄膿症に悩まされてきた。高校生のときと、大学生のときに、合わせて二回手術も受けたが、完全には治らなかった。現在ではほぼ問題なく臭いを感じるが、その当時は嗅覚が鈍く、日常生活で臭いを判別することができなかった。

 臭いが分からないという感覚は、なかなか理解して貰えない。一例として、臭いを感じなければ、目隠しテストでリンゴジュースとオレンジジュースの違いは分からない。そう言うと、ほとんどの人は「そんな馬鹿な」と返す。しかしそれが事実であることは、鼻を摘まんで実験してみれば分かる。

 慢性蓄膿症だと、何故臭いが分からないのか。人によって違いはあるだろうが、私の場合は、鼻がつまっていて、吸い込んだ空気が臭いを感じる細胞まで達しない事が原因だったようである。嗅覚細胞自体は正常であった。それは耳鼻科で検査をしてもらえば分かる。アリナミンテストといい、薬品を腕の血管に注射する。しばらくすると、ニンニクの臭いがしてくる。その臭いを感じれば、正常と言うわけだ。

 臭いが分からないと、たいへん危険な状態に陥る事もある。大学山岳部の先輩で、岩場で転落して顔面を強打し、嗅覚の神経が麻痺してしまった人がいた。化学工学の学生だったのだが、ある日実験室にこもっている最中に、どういうわけか塩素ガスが漏れた。本人は臭いが分からないから、気が付かない。次第に濃度が上がって、危険な状態に近づいていたようである。たまたま入ってきた人が異変に気づき、大騒ぎとなった。幸いにも被害は無かったが、あと少しで危ないところだったとか。

 臭いが分からないと、商業選択にも重大なハンディがある。普段はあまり気に留めないが、よく考えてみると、嗅覚を感じなければ不適な仕事は、いろいろある。料理人もそうだし、医者もそうだ。あるとき私は、そのハンディを力説して「たとえば香水の鑑定士にもなれないのです」と言った。それを聞いた知り合いの女性は、「でも收さん、もし臭いが分かっても、香水の鑑定士になるつもりは無いんでしょ」と言った。誰も他人の窮状など、真剣には考えないのである。

 臭いが分からないことで、具体的に大変困った経験をしたことがある。学生時代に、姉からある催しに誘われた。それは、香道の会だった。臭いを感じない者にとって、もっとも相応しくないイベントであると思われた。もちろん私は断ろうとした。しかし姉は、滅多に経験できない会だから、ぜひ参加しなさいと言った。そして、臭いなんか分からなくてもどうにかなると、大胆不敵な事を言った。

 会場は、由緒ありそうな和風の館だった。庭には緋毛氈が敷き延べられ、和服を着た女性が行きかっていた。平安人の歌会のような雰囲気だった。来客は数名ずつ順番に座敷に上がり、香道の会に臨んだ。いくつかの香を聞き、同じものを言い当てるという趣向であった。まず、先生から香の聞き方の作法を教わった。私には、どの香も臭わなかったが、それがばれない様に、振る舞った。しかし内心は冷や汗ものだった。それから先生が、初心者でも分かる、簡単な課題というものを出した。そして私に向かって「これならお分かりになるでしょう? 言ってごらんなさい」と仰った。

 私の頭はパニックになった。全く違いが分からないのである。しかし答えなければならない。今さら「実は臭いが分からないのです」などとは言い出せない。実に困った状況になった。私はあやふやな態度で、首を傾げたりして、考えるふりをした。それで何とか誤魔化そうとしたのである。それを見て、先生は何を感じたか分からないが、笑顔を絶やさないまま、しつこく私を追求せずに、次の人に回された。後から考えたのだが、たまにこういう事例が有るのではないか。色弱のように、人の感覚には当人さえも気付かない差があったりする。それを人前で暴露するような事になっては、その人が気の毒だ。だから、そのような兆候が感じられたら、白黒を強要せず、さりげなく納めるというのが、香道の先生の気遣いなのかも知れない。

 ともあれ、自らのハンディをはっきりと認識する、辛くも得難い経験となった。人には、他人から見て分からない、悩みや秘密があるのである。




ーーー4/22−−− 良心的な価格


テレビ番組で、レポーターが商品を紹介する時に、「これはお安い価格で、良心的ですね」などと言う。マスコミがそんな具合だから、一般人も影響を受ける。先日家内は通販で届いた品物を私に見せながら「こんなに安いのよ、良心的だわ」と言った。それを聞いて、カチンと来た。

 物の値段は、品質および需要と供給の関係で決まる。売れそうな品物は高くなり、売れなさそうな品物は安くなる。また供給量が多いものは安くなり、少ないものは高くなる。それが基本原理であり、良心や悪意などの問題ではない。それでも、どう見ても品質のわりには安いという商品もある。しかしそれには、個別の事情があるはずだ。やはり良心の関与するものでは無い。商売人は、良い人間であることに満足し、霞を食って生きているわけではないのだ。

 消費期限が近づいている商品の値段を下げる。品質には問題無いが、売れ残るリスクが増すので、安くして売り切ろうとする。悪い事ではないが、特段良い事でも無い。単なる商売上の戦略である。ただ、それを承知で購入する者にとっては、「有り難い」というだけのことだ。

 新商品の販売展開のための、期間限定の値下げ。これもビジネスのテクニックである。売れ始めれば価格を戻す。サービス業では、新規参入の際に、格安料金で競争相手を潰し、一人勝ちの状態になったら価格を上げるというケースもある。

 他社との競争のために、価格を下げる。これも常套手段だ。量販店に行くと、「同じ商品で低い価格を付けている、他店のチラシを持参された方には、その価格でお売りします」などという宣伝をしている。これは、消費者に他店の価格調査をさせているようなもの。あざとい作戦であり、良心とは無縁の事である。

 安価商品の専門店と言えば、100均ショップ。値段が安い=良心的、という概念に従えば、良心の殿堂のような店である。しかし、実際の印象はどうであろうか。

 大量生産、大量消費の現代社会。そのメインルートから外れた領域がある。手作業で物を作る仕事。その分野では、価格設定は身を削るような事である。丁寧な仕事をすれば、当然時間がかかる。世間の会社員の時給で計算をしたら、とても高い価格になってしまう。そこで、「この金額ならなんとか買ってもらえるだろう」というレベルまで下げて、価格を付ける。その切羽詰まった行為を、良心的と言われては、やるせない。

 品質に満足が行って、なお価格が低いという事は、消費者にとっては有り難い事だ。しかし、それを軽々しく「良心的」などと呼ぶべきでないと思う。テレビでそのような言葉を発信しているのは、明らかに売り手の立場の人々だ。そこにはある種の作為が感じられる。良心に反するようなものも、感じられなくはない。

 



ーーー4/29−−− 餃子の食べ方


 母は、生まれは日本だが、子供の頃は満州で暮らしていた。父親の仕事の関係で、家族そろって満州に移り住んでいたのである。終戦に際し、ロシア軍が街に入ってきたので、男の格好をして脱出した話などを、よく母から聞かされた。

 満州での生活は結構贅沢で、中国人のメイドや料理人を雇っていたそうである。家もかなり大きく、邸宅と呼ぶような立派なものだったらしい。余談だが、戦後40年ほどして、母は親戚と一緒に旧満州地域に旅行をした。アカシヤの大連。その街中に、昔住んでいた家は残っていたが、中国人家庭が四世帯ほど入っていたとか。

 中国人の料理人が作る餃子の味が、母の記憶に残ったようである。中国人はおめでたい日に餃子を作って食べるとか。日本では餃子と言うと焼き餃子が一般的だが、本場中国の家庭では、水餃子が主流らしい。母が覚えたのも水餃子だった。私は子供の頃から、よく母が作った水餃子を食べた。一緒に焼き餃子も出てきたが、量としては断然水餃子が多かった。

 水餃子(すいぎょうざ)とは、茹で餃子の事である。鍋に湯を張って餃子を茹で、鍋ごと食卓に出す。湯に浮いている餃子をすくい、小皿の醤油に漬けて食べる。各自が鍋からすくって食べるというのが、楽しい雰囲気を演出し、家庭料理としての魅力もある。

 家内は、私と一緒になってから、水餃子を知った。以来、すっかり気に入ったようで、我が家の定番料理の一つになった。焼き餃子よりも多く食べられ、しかもお腹に優しい。子供がいた頃は、家族五人ぶんで150ヶほどを作った。皮で包む作業は、子供たちが手伝った。それだけの量を食べるのだから、その晩のメニューは餃子だけで済ませることが多かった。

 さて、餃子にはニンニクがつきものである。普通は、すり下ろしたニンニクをあんに混ぜる。ところが、そうでない食べ方を、中国で経験したことがある。

 会社勤めをしていた頃、仕事で中国に滞在した。化学プラントの建設予定地に近い、辺鄙な町。山東半島の付け根にあたる場所だった。会社のメンバー10名ほどが、中国側が手配した招待所と呼ばれる宿に宿泊した。食事もそこで取った。或る日の晩、食卓に餃子が出た。蒸し餃子だった。考えてみれば、蒸し餃子があっても不思議ではないが、初めて目にしたので、ちょっと驚いた。そして、餃子の脇に、生のニンニク片が添えられていた。ボーイにどうやって食べるのかと聞いたら、餃子を食べながら齧るのだと言う。なんとも大雑把な食べ方である。これにも少なからず驚いた。

 それが普通の食習慣だったのか、それとも招待所の料理人が手を抜いたのかは分からない。今から30年以上前の中国である。サービス業の心得などということが希薄なお国柄だった。北京のレストランでも、生ぬるいビールや、冷めたスープなどが出てくることがあった。それを注意すると、ウエイトレスに睨み返されたものである。






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